“50代の落書き”「フィフティズ・グラフィティ」のコンセプト

カテゴリー「杉浦日向子」の7件の記事

2010年6月19日 (土)

杉浦日向子「江戸アルキ帖」 不思議なガイドブックはまるでタイムマシーン

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杉浦日向子さんの作品の中でも、これは異色ではないかとおもいます。イラスト入りエッセイはお得意のジャンルですが、これは、なんというか、絵物語に近いようでそうとも言い切れない・・・設定はある意味SF(!)ですし。でもね、とってもとっても素敵な作品です!

 
 

新潮文庫刊「江戸アルキ帖」、掲載作品は昭和63年(1988年)頃までのものです。基本設定は、現代(もしくは近未来)と江戸時代を、語り手(杉浦さん?)がタイムトラベルするというものです。自分はもちろん現代側にいるわけで、タイムトラベルの免許を取って、決められたルールに従って江戸に遊びに行くという。もちろん、小難しい技術的な説明なんてぇものは、はなっから何にもありませんや。とにかく免許取得後4度書き換えの末、渡航許可が下りたら毎週日曜には江戸にいっつくるぜ!てなもんでぇ。

 
 

という、非常に唐突な初期設定を理解しないとなんだか分からない話なのですが、ここから先は見開きの左がイラストで右がその説明文というスタイルで、1箇所ずつ江戸時代の江戸市中や名所を「旅人の目で」紹介してくれる、という趣向です。

 
 

他のエッセイが、江戸研究家としての杉浦さん目線で書かれているものとは、このように根本的に違うスタンスで、しかも彼女のマンガ作品のように、江戸時代の人の目線でもない。今風に言えばあたかも旅行好きの方のブログを読むような、不思議な現実感が感じられるものです。

  
  

またイラストが素晴らしい。エッセイに良く出てくるクダケタ調子ではなく、けっこう写実的な雰囲気です。いつもの(?)浮世絵風マンガ調とも少し違う、まさに現地にスケッチ道具を持ち込んで描いてきたかのような、画用紙かキャンソン紙にパステルや色鉛筆でていねいに描いたこの本独特の技法。全体に非常に色彩が美しく、またとっても叙情的です。後の「百物語」の後半に登場する、あのパステル使いはこの辺から来ているのかな。ぜひ原画展を開催して欲しいところです

  
  

江戸風俗や当時の名所の説明は、優れた研究家・考証家たる杉浦さんの面目躍如というところですが、この独特の状況設定のおかげか、押し付けがましさがありません。こういうセンスは女性ならではのものだよなぁとおもいつつ、感心しながら引き込まれてしまいます。

  
  
  

最終回でも何が起きるわけでもなく、いつもの回と同様に穏やかに時がすぎてゆきます。それはまさに江戸の時間の流れ。通常のエッセイでは表現し切れなかったこの時間の流れを大切にしながら、マンガ以上に江戸のイメージを明瞭に伝えたかったのでしょうか。杉浦さんの作品の中でも屈指の、江戸の時間感覚に浸れる快作だとおもいます。読むたびに、幸せな気分になれますよ。

2009年11月29日 (日)

杉浦日向子「ニッポニア・ニッポン」 出会いの一冊は宝石箱

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杉浦日向子さんの初期の短編集「ニッポニア・ニッポン」青林堂の初版本です。1984年11月30日初版発行と巻末にあります。以前紹介した「ゑひもせす」(双葉社版)が、巻末に1983年8月14日初版発行とありますので、こちらは第2短編集、という事になるんですかね。
  
  

調べてみるとこの前に「合葬」を青林堂から出していて、実はこれ以前もっていたのを手放してしまって、後悔してます・・・
  
  

なんにしても、杉浦日向子さんの初期作品として、あの「百日紅」に続いてゆく道しるべとなる時期の作品集で、そういう意味でも興味深いものですね。絵柄としては、一足先に発売された「合葬」や「ゑひもせす」よりもやや繊細なタッチで、「百日紅」前半の雰囲気に近づいているものが多いですね。また、時代背景も、戦国時代ものから明治初頭まで、幅広く取り上げられています。
   
  

杉浦さんというと江戸時代ど真ん中、のイメージが強いのですが、実際には幕末から明治初期を取り上げた作品も多く、これらは新しい時代の波に戸惑いながらも前を向いて生きる、若者の姿を描いたちょっと切ない作品群となっています。この短編集では、「夏草とリボン」、「前夜」あたりがそうですね。後の「東のエデン」などに発展してゆく流れです。
  
  

「百日紅」につながるものとしては、「馬の耳に風」以下の3篇、「馬風」、「おかつ」に「若」のトリオが繰り広げる、ちょっとした人情話がいい味を出しています。表紙のイラストは、この話のひとコマをモチーフにしています。
  
  

恐らく「合葬」(1984年日本漫画家協会賞の優秀賞を受賞)により注目されたことで企画された作品集とおもいますので、全体、強いテーマ性は特になく、散文的ではありますが、その分、個々の作品の個性が立っているというか、キラキラした宝石箱のような一冊です。

  
 

時に、この本と「ゑひもせす」、買った店は覚えてるんですが、いつ買ったか、何がきっかけで杉浦日向子を知ったか、まるで思い出せないんです・・・どんな縁があったのかは霧の中ですが、出会えて良かったと、心からおもっています。

2009年10月11日 (日)

「江戸へようこそ」&「一日江戸人」 杉浦日向子エッセー集二題

091011hina1杉浦日向子さんのエッセー本も、けっこう読みましたね。全般に、もちろん江戸ものが多いのですが、後期にはそれに限定せず、生活者目線で楽しく、東京とその陰に残された江戸の風情を書くようになった気がします。今回の2冊は、比較的初期に書かれたエッセーではないかと思います。どちらもとても楽しく、個人的にも好きな作品です。

 
 
 

1冊目の「江戸へようこそ」は、持っているのは「ちくま文庫」で1995年の第10刷版ですが、これの初版は1989年で、さらに原典は1986年の「ちくまぶっくす63」として出版されたそうです(文中の記載から、1985年ごろ書かれたのがわかります)。要は、杉浦さんのキャリアの中では、漫画家としてもまだ初期に近い頃に書かれたものですね。

 

そのためか、内容的には、けっこう熱い!というか、ご自身の「江戸」に対するスタンスを、非常に強い調子で規定して見せるところから、このエッセーは始まっています。有名作家連との対談も同様に、どのように江戸と対峙すべきか、というテーマです。ある意味なかなかスリリングな印象すらある本ですね。当時の彼女なりに、「江戸とは本来このように付き合うべし」という、若いゆえのある種の押し付けがましさというか、思い込みが感じられるのですが、それがいやみにならないところが、杉浦さんの美点なのでしょうね。

  
 

091011hina2 それに対して、こちらの「一日江戸人」は、ずいぶんクダケタ感じです。この本自体は1998年初版の小学館文庫の2002年第11冊ですが、元ネタは1986年から1988年にビッグコミックオリジナルに連載されたものだそうで、「江戸へようこそ」と書かれた時期はそれほど変わりません。

 
 

ところが印象はずいぶん異なっています。ネタ的には、2冊ともに江戸の風俗や江戸人のものの考え方、生き方などの解説が主体でして、挿し絵入りでわかりやすく語ってくれています。でも、こちらには「江戸へようこそ」に感じた「青年的熱血」はほとんど感じず、むしろなんともハンナリとした、杉浦さんの後期エッセーを読んだ方なら感じているのではないかと思う、あの文体に近いソフトな感覚で書かれていると思います。挿し絵もぐっと増え、しかも漫画的表現が多いせいもあるかもしれません。

  

ここの違いは、けっこう面白いとおもいました。同時期のエッセーなのに、この感覚の違いはどうしてなのかと。引き出しの多い人だったのか、それとも「江戸へ・・・」で言う事は言ってしまって、すっきりふっきった気分で「一日・・・」以降の作品に入っていけたのか、今となっては知る由もありませんけど。

  

それでも、根底に流れている、江戸への想い、というか、江戸を自然に感じて生きてゆこうという姿勢は何の変わりもなく感じられます。この江戸ナチュラルな感覚こそが、杉浦さんの作品の「背骨」なのでしょうね、きっと。

2009年9月19日 (土)

杉浦日向子の爆笑浮世草子 「とんでもねえ野郎」

090919hina1杉浦日向子さんの作品は、江戸もしくは明治維新期の風俗を独自の視点と浮世絵や黄表紙本の挿絵風な技法で描く点が大きな特徴です。同時に、ユーモアやペーソス(江戸的でない表現ですが・・・)に長けたストーリーテラーだと感じています。そんな杉浦さんの傑作「おもしろ本」が、この「とんでもねえ野郎」だとおもいます。

 
 
  
  
   

この「とんでもねえ野郎(1991年青林堂 刊)」は、なかなか笑えますよ。とても楽しんで描かれたのではないかとおもいます。巻末の対談で、最初は1話のつもりだったのが続けて欲しいとの要望を受けて連載したとの事情を語っておりますが、各話とも大変気楽に笑って読める、痛快ギャグマンガ風の作品に仕上がっています。

 

  

よい意味でだんだん話がパターン化して、後半はだいたい主人公が「ばびゅーん」という洋風というか今日風の擬音をのこして「尻に帆かけて」逃げ去ってゆくコマで終わります。この尻切れトンボ感覚が、黄表紙本的なノリをかもしだして、不思議とけっこう江戸っぽく感じますネエ。


 

江戸風俗の情報量は、「百日紅」「百物語」に負けず劣らず豊富で、そういう面でもとても楽しめます。でも、特段江戸文化に興味がなくても、話の面白さだけでも十分に楽しめます。

 

  

なにせ主人公の「桃園彦次郎」の個性は強烈で、実生活ではあまりお近づきになりたくないタイプではありますが、マンガのキャラクターとしてはかなりの傑作人物ですね。かわいそうなのは巻き込まれていく人々で、なにせマンガの中が実生活の皆さんですから、こちら同様に巻き込まれたくないと願っていてもどうしようもなく振り回されてゆくわけです。そんなドタバタ人情喜劇を、何度も言いますが杉浦さんはとっても楽しんで描かれたように感じます。そんな、作者のノリを感じる作品です。

 

 

090919hina2 久住昌之さんの装丁は、わざとやっつけっぽいデザインで、これは必ずしも黄表紙風とは言えませんが、このマンガのかもし出す八方破れなイメージを良く表現していて楽しいですね。それにしても、定価まで裏表紙のデザインに取り入れてしまって、価格改定があったらどうするつもりだったのでしょう。


 
 
 
 
 
  
  

さて、この作品、杉浦マンガとしては後期ですが、「百物語」のような、運命に立ち向かうような張りつめたものはあまり感じません。絵柄も、洗練されて手法的にも確立されてはいますが、逆に実験的なものはあまり感じません。

 

  

その分、登場人物の心の動きや、冒頭に書いたユーモアやペーソスと言えるものは、とても濃厚に描いている気がします。とても饒舌な気がします。

 
  

「合葬」や「百物語」の印象が強いせいか、エッセーの軽妙さと比べるとややヘビーな印象もある杉浦さんのマンガですが、実際には明るいノリの作品が多いようです。そのなかでもやはりこの「とんでもねえ野郎」は、とっても気楽に笑って温まってお江戸のお勉強もできる、楽しさナンバーワンの「爆笑系杉浦本」だとおもいます。

2009年8月10日 (月)

杉浦日向子「百物語」 怪談とは、かくも切なく悲しきものなり・・・

090810hyaku2少々じめじめしているとはいえ、「怪談」の季節到来です。夏の夜を涼しくすごすのに、妖怪や幽霊の話は欠かせない風物詩なのですが、この「百物語」については、なぜかとても切ない気持ちになってしまいます・・・

  
 
 
  
  

「百物語(新潮社刊 全3巻)」は、以前紹介した「百日紅」と並び、杉浦日向子さんのマンガの代表作である、ということに異論はないでしょう。多くの評論家が、同業者が、小説家が、そしてブロガーのみなさんが、口をそろえて賞賛しています。自分もまったく同意見です。

 

 

計算しつくされた(のか、純粋に天性のセンスなのかはともかく)、画面の美しさとひとコマひとコマの構成力は、あの「百日紅」すら超えて、一つの極みにたっしているとおもいます。恐ろしいほどに無駄がない、張りつめた緊張感を下塗りにした画面に、各話それぞれの内容に最適な技法や絵柄を選び描きあげる。「自分の絵」にこだわってしかるべき漫画家としては非常識なほど、柔軟に、そして貪欲に、「表現」というものに向き合う姿勢には、圧倒されるものがあります。

 
  

本題の「怪談話」自体について言えば、収められた99話それぞれの話はどれも数ページの短編であり、本来なら長い話になるべきところの、ほんの一部を切り取って見せるだけで終わっています。原因から結果までが語られた話はほとんどなく、仮にあっても、「なぜ」の解明に至るような記述はありません。表面的には、あまりに淡白なというか、無責任にさえ感じられる語り口で統一されています。  

  
  

これは、「怪談」の典型的な手法である、「徐々に話を盛り上げて、相手を物語の世界に引きずりこむ」パターンからすると、ありえないスタイルだとおもいます。稲○淳二さんだったら、どうするんでしょうね。

  
  

ところが怖いんです。杉浦さんの「百物語」は。べつにオドロオドロシイ絵が出てくるわけでも、強大な超能力をもった妖怪や、悪霊が猛威をふるうわけでもありません。あくまでも、ただそこにある「不思議」が、あるがままに描かれているだけです。それも「人伝え」として語られるだけです。ものすごく客観的です。登場人物への感情移入が、表面的にはまったく感じられないほどに。

  
  

ではなぜ怖いのか。それは、上記のような構成が、逆に「わからないことへの不安」を煽り立てるためだとおもいます。各話はあまりにも短く、怪異の原因も理由もほとんど提示されていません。なのでこれは一体なぜだどういう事なんだと考えても分からないし分かりようがない。分からないからさらに「不安」になって行く。そんな負のスパイラルに落ち込むような心の葛藤が、杉浦さんの「百物語」の怖さの正体だとおもうのです。



 

ところが読後感として、そんな独特の怖さと同時に、もう一つ心に引っかかるものがあります。それがどうも、冒頭に書いた「切なさ」です。

 
   

あれだけ客観的で淡白な表現なのに、心を締めつけるようなこの「切なさ」はどこから来るのでしょう。それはきっと、「人を想う気持ち」ではないか。そしてこれこそが、「怪異」を起こす大きな原因だと、杉浦さんが考えていたのではないかとおもうのです。


  

なんでもないようなことにも、大きく心が動く。何かあったと知れば、さらに強く心に感じる。そんな、人を想う事による心の動きが引き起こす「心象」こそが、「わからないこと」、つまり「怪異」を感じる原因と考えていたのではないかとおもうのです。

  
 

なのでこの「百物語」は、「怨めしい」話よりも、「人が人を想い、心に掛けること」により起こる「怪異」のほうがずっと多くなっているようです。「優しい怪談」とか、「切ない怪談」という表現は、おかしいでしょうか・・・涼しくなるどころか、「心が温まる怪談」というのはおかしいでしょうか・・・

 
 

この作品は、スタートは1986年から8年間の長きに渡り少しずつ回を重ね、1993年2月まで「小説新潮」に連載されたそうです。杉浦さんが「漫画家引退宣言」をされたのも1993年ですから、マンガではほとんど最後の作品となります。

 
   

彼女は、この作品になにを託したのでしょうか。すでに体調のほうも、少しずつ悪くなっていった時期とおもいます。

 

 

だからこそ、杉浦さんは貪欲に「人を描く」ことを追求されたのかもしれません。表面的なそっけなさや客観的スタンスは、彼女のスタイルかもしれませんが本質ではないような気がします。その裏側から感じられる、登場人物の人生への切ない共感が、この作品のスタートでありゴールなのかもしれません。

 

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このハードカバー版のカバーアートや装丁も、「百日紅」に負けず劣らず美しいもので、手に入れてよかったと心からおもいます。でもそれ以上に、この切なく美しい「怪談話」に出会えたことが、本当によかったな、とおもうのです。

2009年6月16日 (火)

杉浦日向子作品集「ゑひもせす」より 「吉良供養」考

090616hinako1杉浦日向子さんの作品集は、どれも美しい表紙絵がステキです。たぶんこの「ゑひもせす」(双葉社刊)は、自分にとって最初の日向子体験だったと思いますが、まずはこの表紙絵にやられちゃったんだとおもいます。そして頁をめくっていって、ふと気がつくとそこは江戸時代真っ只中という寸法でぃ!

 

 

 

 

  

 

自分にも初体験だったこの短編集は、杉浦さんにとっても初期(初めて?)のものだそうで、技法的にはまださまざまな方向性を試行中という感じです。ところがコンセプトはすでに太い芯が通っていて、結果としていろいろな表現を安心して楽しめる、フトコロの深い内容になっているとおもいます。

 

 

絵柄がキレイな人情話、コミカルで楽しい廓(くるわ)話と、バラエティにとんだ作品のなかで、非常に強く印象にのこったのが、最後に収められている「吉良供養」という話です。

  
  
  

簡単に言えば「忠臣蔵・吉良邸討ち入りの段」について彼女なりの調査結果と見解を絵物語にまとめたもので、上下話に分かれています。なにが印象に残ったかというと、まず赤穂浪士の討ち入りを、一般的な美談としてではなく、日本史上まれに見る残虐行為ではないかととらえる視点。そして、史実を冷静にひも解いて、きわめて客観的なスタンスでそれを再構築してこちらに提示している点です。

  
  
  
  

けっしてひねくれた判官びいきで吉良のほうがすっきや!といっているのではなく、ものすごく検証的に、そしてかなり中立的に討ち入り劇を分析して描いています。手法的にも、通常の思い入れたっぷりの「マンガ」表現とは大きく異なる、江戸の黄表紙本(いわゆる雑誌的なもの)の挿絵をおもわせる描きかたで、ぎゃくに不思議な現実感を感じさせます。

 
 
 

それまでもちろん、忠臣蔵の基本設定をうたがった事などなく、むじゃきに12月が来るとテレビの特番や映画放送で、この日本で一番有名な「勧善懲悪」ドラマを楽しんでいたのですが、これを読んでからはそうは行かなくなりました。

  
  
  

その後、いくつかの江戸物ムック本などを読んでみると、どうも吉良上野介はけっして悪人ではないらしい。イイトコロノ出身でしかも名君ですらあり、礼儀作法のお目付け役として非常に有能な実力と実績の持ち主だったそうです。ただそれゆえに謝礼やつけとどけの習慣についても常識と捉えていたものですから、田舎モノでそういう空気のまったく読めない浅野内匠頭に業を煮やして少々大人気ないお灸をすえたわけですね。公平に見ると、お互いに非があったといえ、吉良さんだけが責められるものではないようです。むしろ原因は浅野さんの非常識(当時の武家社会のしきたりベースで)だとおもいます。それをほとんど逆恨みで切りつけられて、そのうえ庶民感情のスケープゴート的に隠居させられ、あげくの果てにほとんど罪のない20名以上の家臣とともに惨殺されて、その後300年も悪者扱いではたしかに浮かばれません。大石さんも本当はやりたくなかったフシもありますから、不運がかさなった悲劇ともいえそうです。 

 

 

そういった事もふまえて、杉浦さんはこれを描いたのではないかという気がします。

 

  

伝えられた歴史は、「真実」とは限らないのでしょう。たとえそれがうそいつわりでなかったとしても、そのときの権力者や世論の考えで、とらえ方が大きく変わってしまいます。時にはちがう視点からものを見ることで、「真実」といわれるものの別の姿が見えてくるものだと、杉浦さんに教えてもらった作品でした。

  
  
  

足の先まで忠臣蔵が好きな人ほど、ぜひ一度読んでほしい話です。写楽と同様に、けっきょくはなにを聞いても信じないでしょうけど・・・でもね、ひとつの事もいろんな見かたをしたほうが、人生けっきょくたのしいですよ。

2009年5月17日 (日)

「百日紅(さるすべり)」

090516sarusuberi2杉浦日向子さんの作品を最初に読んだのはいつだったでしょう。正確には覚えていませんが、最初に入手した短編集「ニッポニア・ニッポン」「ゑひもせす」、この「百日紅」と、みな80年代半ばの発刊で、普通に買ったものが初版か二刷でしたから、そのあたりかと思います。

 

 

  

きっかけは思い出せませんが、最初に読んだときのインパクトはそうとうでした。「マンガ」「劇画」というより「浮世絵」のセンスが色濃い個性的な作風は、ひとコマひとコマが一枚の絵として怖いほどのすご味と奥深さを感じさせてくれました。1958年11月生まれという事で同学年ですが、すごい方がいるもんだと思っておりました。

 

 

この「百日紅」(マンサンコミックス刊)は、杉浦さんの代表作の一つです。浮世絵師「葛飾北斎」の人物像を、当時の風俗や死生観をおりこみながら、極めて人間的に描いています。杉浦さんの時代考証能力は、代表的な学者の先生方とくらべてもけっしてヒケをとらない素晴らしい力量をお持ちでした。本作では、その力を十二分に発揮しながらも、事実を踏まえつつ、あえて多少の脚色をほどこしているそうです。

 

  

それにくわえ魅力的なのは、全編をつつむ独特な「怪」や「妖」の雰囲気です。江戸時代においては、「妖怪」とか「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」は日常生活にきわめて自然に溶け込んでいる、ごく普通の出来事だという視点。怪異はたしかに怪異ではあるが、そういうものだ、というなんともあっけらかんとしたとらえ方、うけ入れ方が、とても新鮮で説得力がありました。それまで妖怪といえば「ゲゲゲの○○」のように、やたらとアクティブで戦闘的な存在に描かれるのが一般的でしたので、杉浦さんの描く

静寂感のある怪異は、体験したことのない世界観でした。

 

  

またこの作品は、浮世絵師を題材にしたことも影響しているのでしょうが、ひとコマひとコマの絵のクオリティが非常に高いと思います。構図、線、彩色ともに、アート的にとことん計算されている緊張感があります。それでいて、どこかマンガらしいやわらかな人間味も感じられ、そのバランスが絶妙だと思います。

 

  

登場人物もみな生き生きとして描かれ、本当にこんな人柄だったのかなと錯覚させられます。個人的には善次郎(浮世絵師 渓斎英泉:けいさいえいせん)がお気に入りでした。風俗や生活習慣についての情報もはんぱない量で、こういう面でも知的好奇心がくすぐられます。わたしも杉浦さんの作品をきっかけに、江戸ものにはまってゆきました。

 

  

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そしてこのマンサンコミックス版についていえば、カバーアートも本当に見事で、これだけとってもすばらしいものだと思います。

 

杉浦さんは2005年7月22日、46歳の若さでこの世を去りました。漫画家としては1993年に引退宣言をされ、以降は主に江戸風俗研究家として活躍されました。NHK「お江戸でござる」の解説者としての杉浦さんをご記憶の方も多いと思います。

 

 

そのちょうど5年前の2000年7月22日、一度だけ近くでご本人を見たことがあります。今住んでいる市が当時立ち上げた「市営江戸時代風観光商業施設(なんのこっちゃ?)」のこけら落しで、企画されたトークショーに出演されたのを、事前情報キャッチして見に行ったわけです。

 

  

正直、惚れてましたから!ぜひ一目見たいと。自分のもっていたイメージより、小柄で細い印象の方でした。

 
 

「百日紅」の最終話は、北斎の末娘が亡くなるときに、姉のお栄が虫の知らせを感じて駆けつけるシーンで終わります。静かな最終回です。不思議をうけ入れ、あくまでも日常的に死と向きあう死生観。 漫画家引退の93年ころにはすでにかなり体調をくずされていたようですが、この作品を描かれた80年代なかばにすでにこういう死生観をお持ちだったとすれば、なにか予感のようなものがあったのでしょうか。

 

 

そうだとすれば、とても切ない気がします。でも、それをサラッとうけ入れて笑顔で歩くのが、杉浦流なのかもしれません。

 

 

「百物語」その他のエッセイなどについても、今後書いてゆきたいと思います。

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