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2013年1月28日 (月)

「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 デジタルリマスター版」 凄いけど欲張り過ぎた?完結しない完結編

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「年末アマゾンポチッと最終章」はかなり難物です。劇場で観たときも消化不良感が残りました。今回観直しても同様。凄い作品とは思いますけど、観ていてあまり楽しくないのも正直な気持ち。一作ごとに複雑で重暗くなってゆく演出タッチについて行きかねる所がね。

 
 
 
 

とにかくスゴイ怪獣映画である、とは思いますね。特に特撮の技術とその画面への活かし方については、現在までを含めても最高水準の一つと言っても良いのではないかと思います。そりゃ現代の方がCGを中心にSFXは格段に進歩しているのでしょうけど、結局は何をどう見せるかというアイデアと工夫次第、という事が良くわかります。渋谷崩壊をはじめとした各見せ場は今見てもほとんど粗を感じさせない見事な演出と作りこみがなされていて、これだけでも本作が怪獣映画史に燦然と輝く重要作品と言えると思います。これに比べれば第一作の特撮は牧歌的にすら感じてしまいます。

 
 
 

ところがその素晴らしき技術を生かして描き出されたものはやたらと陰惨な光景ばかり!特に「渋谷崩壊」のシーンは情け容赦のない演出がされています。なんでも「怪獣が暴れることによって本来起こるべき厄災(要は人がたくさん死ぬよ)をリアルに描いて見たかった」みたいなことが作品の主要テーマとしてあったという事で。確かにほとんどの過去作品ではそれはタブー的に扱われていましたので、目の付け所としては面白いのですけどね。ただ本作に関しては、「何のためにそれを描くわけ?」という所が理解できない。

 
 
 

この渋谷のシーンのような、言ってみれば「都市崩壊パニック映画系怪獣映画」としては、もちろん「ゴジラ」第一作が1954年の昔にほぼ完ぺきな完成度で金字塔を打ち立てています。この初代ゴジラが表現したのは戦争のメタファーであり核の恐怖であったわけで、当時の人々が抱いていた大空襲の傷跡と核実験被害への恐れの心情に訴えかけて、平和の尊さを逆説的に表現したのだと思っています。それに対して本作ではそういった精神的な動機はなさそうで、ハリウッド的とでも言うべきでしょうか、要は思い付きと言うか表面的と言うか、スゴけりゃいいじゃん的なノリがすべてという気がします。まあそれならそれで、難しいことは言わずにシンプルな「パニック映画」に徹すれば、この特撮技術をもってすれば相当な完成度になったと思うのですがね、

 
  
 
 

なぜか「ガメラに親を殺された少女の復讐劇」と言う名目のまるでポケモンみたいな「モンスター育成ストーリー」を物語の軸に据えて、前述の「凄惨なパニックスペクタクル」はこれを補足するための一要素、みたいな作劇にしてしまったことが、この作品をやたらと複雑な構成にしてしまった最大の原因と思います。「パニック映画」と言うだけで普通お腹いっぱいなわけですから。さらにこれだけではまだ足りず、柳星張だの四神獣だの玄武だの巫女だの陰陽師だのと、古代日本や中国の言い伝え系キーワードが次々に繰り出されてきてもうついて行けません。劇場で一回観ただけでサラッと理解できた方、どれくらいいるんですかね。自分はパンフレットの説明を後で必死に読みましたが、未だにその意味付けが完全には理解できません。だって第一作で「太平洋に沈んだらしい古代文明が生んだ生体兵器」とガメラ&ギャオスを規定しているのに、無理やりの日本昔ばなしですから頭の中が「パニック映画」・・・このあたり、神話ラブは金子監督の趣味趣向なんでしょうか?この後撮ったゴジラでも全く同じような設定を使ってますからね。

 
 
 
  

各出演者の位置づけももう一つ不鮮明。中山忍さん演じる「長峰」の扱いも、前半はギャオス研究者として対策本部に迎えられるなどスキルを生かした関わり方が納得なのですが、後半は「探偵か?」というような扱いで、意味不明な存在になって行きます。これは浅黄をはじめとした他の出演者たちも同様。特に京都駅のシーンでは人数ばかり沢山いるのにだれも活躍するでもなく、いつまでもがれきをどけるのに四苦八苦てしたり勾玉もったり訳の分からないことを言いながらつぶされたりと、尺を使うだけで全くいいところがありません。前田愛さんは熱演ですが、役柄以前に「なんで怪獣とそういう形で融合すると怪獣が強くなるの?」という根本的な理由が良くわからない自分には、巫女だなんだといわれても「取り返しのつかないことをしてしまったにしては反省の足りない悪い子だ!」くらいにしか思えないわけです。出演者と言えば「ガメラとイリス」(笑)のデザインも、なんだか小難しくって分かりにくく感じます。ディテールが懲りすぎで、全体像が掴みにくい感じ。特にイリスは直立姿勢が凄く不自然で、あまりにもあっけらかんと着ぐるみ然として疑問符一杯です。

 
 
 
 

このように「わからないことがいっぱい」の超難解な設定の山に頭が一杯になって、何度観ても消化不良のままクライマックスを迎えるのですが。あのガメラの最終奥技ね、「バニシングフィスト」と言うらしいですが、これが一瞬で、CGの解像度が悪いのか自分のアタマが悪いのか、どんな技なのかどうもよく分からない。実は劇場で観たときに一瞬気が抜けていたのか「見損ねて」いて長い事モヤモヤしてたんですが、その後のTV放映でも、挙句は今回のDVDで何度再生しても、やっぱりどうももう一つはっきりしないままなんです。これがまた消化不良の一因・・・

 
  

  

そして極めつけの消化不良ネタはもちろん「完結しないラストシーン」。あの後どうなったかは完全に観客丸投げですのでね。まあ、エンディングのパターンとしては昔からあるものですからどうこう言いませんが、ここまでこれだけモヤモヤを重ねてきて最後にとどめのようにこれですからね、本当に胃に穴が開きそうです。このラストシーンはやはり賛否両論のようですね。例の落語家さんの自主制作続編映画はどうやらまさにこのシーンの続きから始まっているそうですが、映画の続編と言うより連続TVドラマみたいな流れでわざわざ映画作っちゃいたくなるくらいのインパクトがあったわけですね。

 
   

 
 
  

さて、初めて平成ガメラ三部作を通しで観た感想としてはね、映画は楽しい方がいい、と言うのが自分の基本スタンスですので、好きな順に並べればやはり「1」「2」「3」の順で1位2位3位となります。「爽快感」→「モヤモヤ」の順ね。ただし別の評価軸(例えば特撮技術感激度とかリアル作戦行動に納得度とかね)を立てれば逆転するでしょうし、それくらい各作品ともそれぞれの良さと強みを持っている名作群であることを確認できました。と同時に、結局はカルト映画の範疇を出ていないというか、怪獣映画というもの自体がこの頃にはすでにカルト映画になっていたという事実を再確認させられた気がしました。マニアックに凝れば凝るほど一般大衆からかい離してゆくジレンマ。今回この3本を観てとても楽しかったけれど、それは多分「怪獣映画ファンフィルター」を通しての感想と思いますし、怪獣映画はどこに行くのかについてはますます霧の中。まさに「ガメラ3」のラストシーンのように、考えれば考えるほどモヤモヤが残るのでした・・・

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